やすらぎの富士

富士山写真撮影の記録
最新富士山の撮影記録
カテゴリ廃車の風景を新設しました。冨士山撮影で巡っている合間に撮りためたものです。お暇がありましたらご覧ください。


相撲協会は不祥事続きです。白鵬の言う、たまっていた「膿」が出てきたのでしょう。それでも連日満員御礼、膿だらけの相撲を見ても面白くないので、私は一度もテレビ観戦をしていません。どうも私もツイていないようです。二度目の霞ヶ浦へも行きましたが撮れませんでした。22日は雪が降るというので、前日から精進湖で構えていましたが、雲で撮影ができませんでした。ガソリンが徐々に値上がりしています。だから近場で済まそうとしたわけではありませんが、1月は近場の三浦半島からも冨士山が見えるので、何度も通いました。それでもなかなか撮らせてくれません。こんなのではダメなのはわかっていますが、たまった「海」の写真を大放出することですっきりしました。


1月23日 御坂峠
見えない精進湖から移動しましたが、ここでも少ししか見えないので、湖畔に下りました。
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大石公園
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忍野村
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諸磯海岸
1月7日 きれいに見えましたが、風はあるのですが波がありません
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10日 見え方が少ないですが、大波が打ち寄せました。
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14日 きれいに見えましたが、波がありません。
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真名瀬漁港 11日 まずまずの焼けた見え方でした。
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逗子海岸
11日
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15日
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17日
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# by minorufuji2089 | 2018-01-26 20:05 | 最新富士山撮影 | Comments(0)
最新富士山の撮影記録
カテゴリ廃車の風景を新設しました。お暇がありましたらご覧ください。

レンコンを買いに行くのか、写真を撮りに行くのかわからないのが霞ヶ浦のダイヤモンド富士です。前日は撮れたとのことですが、なかなか撮らせてもらえないのがここからのダイヤだからです。やはり12日は雲に隠れてしまい撮れませんでした。ここまで来て無駄足にならないよう、今年は初めて関宿へ行くことにしました。関宿はダイヤにならないことと、構図がワンパターンであることから、今まで撮る気がしませんでしたが、新しさを求めて帰りに寄ることにしました。いざ行くと、すっきり晴れた天候にもめぐまれたからか、思いのほかきれいだったことです。地元の人も数人集まって、景色を眺めながらカメラを向けていました。自分が撮らず嫌いのワンパターンであることに気づかされました。買ってきたレンコンを食べて、今年もレンコンの穴のように見通しを良くして撮影していきたいと思いました。

1月13日 霞ヶ浦玉造 昨夕は見えませんでしたが、朝は薄っすらと見えました。
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関宿 移動して、夕日が沈むころから見えだしてきました。
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日が沈むとライトアップが始まりました。
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色を付けたように背景が赤くなりました。
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私は川に映る景色のほうが好きですが、皆さんはどちらがお好きですか。
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# by minorufuji2089 | 2018-01-14 21:10 | 最新富士山撮影 | Comments(2)
最新富士山の撮影記録
明けましておめでとうございます。
横浜市営地下鉄関内駅上大岡方面ホームにある、ホームギャラリーで私の10枚の写真を15日まで展示してあります。通る機会がございましたらご覧ください。



3日午前6時過ぎ、大観山で日の出を待っていると、湖畔から激しい太鼓音の轟がしてきました。応援合戦が始まったのでしょう。8時、打ち上げ花火の音が峰々にこだまして、箱根駅伝復路がスタートした様です。みなさんのSNSを見ていると、湘南海岸や、三浦半島からの写真を多く見ます。地元であるから行かなければいけないと思いながら、行かないでいたことが悔やまれるほど、佳い写真がアップされています。これではいけないと、今年のスタートは大観山からの満月を狙いました。幸いピーカンで、焼けは少しでしたが落月の朝焼けをとることができました。20年前、神奈川大学が箱根駅伝で優勝し、横浜高校が甲子園で優勝し、ベイスターズが日本一になりました。その後は、ベイスターズはもちろん、神大も横高も低迷が続きました。ところが昨年のベースターズのあと少しで日本一になるまでの活躍、神大の全日本大学駅伝での優勝と昨日の往路での善戦に、今年は何かがあるかもしれないとうれしい予感がしました。地元の活躍に負けないように、地元の写真を撮ろうと、駅伝が通り過ぎた余韻の残る134号線を駆けて秋谷の立石公園まで行きました。ここにも沼津からの車を含めて多くのカメラマンで賑合いました。「練習は嘘をつかない」といいます。スポーツで勝つということはそれなりの練習があるからです。写真でも、美しい1枚をとるためには、それなりの通うという努力が必要です。今年は地元の撮影ポイントに多く通い、遠方から来た方に負けない1枚が撮れる努力をしたいと思います。

1月3日 箱根大観山 スーパームーンの落月。
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逗子海岸
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横須賀市秋谷 立石公園
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4日
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# by minorufuji2089 | 2018-01-05 14:45 | 最新富士山撮影 | Comments(2)
廃車のある風景

廃車のある風景
ーー現代野晒し紀行ーー
新車も、10年を過ぎると廃車という運命がやってきます。解体再生となる廃車がほとんどですが、中には野晒しのまま朽ちて行く車もあります。そんな車を見るにつけ、写真を撮ることで、朽ちて放置されている車が新車で走り回っていたころを想い,今を悼む気持ちを表したいと思いました。富士山撮影に走り回るうちに、多くの廃車に出会い撮ってきました。それらを少しづつ増やしていきますので、思い出しましたらご覧くださるとうれしいです。一番最後が最新写真です。

死して屍拾う者なし


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私がカリフォルニアの片田舎を旅していた時、60年代が凍り付いたような景色に出会い、思わずシャッターを押しました。というのは嘘で、ここは横浜の片田舎,金沢文庫です。車は言わずと知れたVWT2(フォルクスワーゲンタイプ2)です。レストランとバーが並んであり、道路の反対側にデイスプレイされているのがこの車です。 T2は、60、70年代の私が、否誰もの青春時代のあこがれの車でした。T2が出たのは50年で、67年ドイツで終了し、75年にはブラジルでも終了するまで多くの車が作られました。むしろ生産が終了した70年代に日本でのブームが起き、アメリカから中古車が輸入されました。それでも需要が満たされずに、同様のリヤーエンジンのスバルサンバーを改造したカスタムカーが作られました。もちろん今も現役で多くの車が走っているので、見ることも多いです。空冷1200ccの、乾いたカシャカシャというリヤエンジン音は、軽快で心を和ませます。この車、10年以上この状態で止まったままなので、廃車とばかり思っていましたら、先日、10メートルほど動いていました。ナンバーもついているので、もしかしたら現役なのかもしれません。しかし、この車が、私に廃車のある風景を撮らせるきっかけとなりました。廃車になった車を見ながら、車を悼むと同時に、昔を懐かしんでみたいと思います。

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ここは塩尻峠、高ボッチ高原への登り口です。1960年代日産にジュニアというフレームがある中型トラックがありました。67年に出たのがトヨタのハイエースです。フレームのないモノコックボデイで、たちまち中型トラック市場を独占しました。諏訪湖を望む高ボッチ高原へ、写真を撮りに通いだしてから20年以上は経ちますが、おそらくそれ以上前からこの車はここにあり続けています。ハイエースワゴンは今も大人気で、撮影地で思い思いにキャンピングカーに改造した車を見ることができます。先日高ボッチで、熊本から写真を撮りに来るFさんの新車のハイエースを見つけました。ベットやキッチンはもちろん、床暖房まで装備された、すばらしいキャンピングカーに改造されていて、ソファーに座りコーヒーをごちそうになりました。この時ばかりは私の軽ワゴン車がみじめに見えました。


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スバルレガシーに12年間24万キロ乗りました。とても操縦安定性があり、いい車でしたが、とても壊れる車で、最後にはエンジンまで交換しました。これはピックアップトラックで、左ハンドルです。しかも屋根はフェアレディZと同じTバールーフでオープンになります。明らかに北米仕様です。北米ではこの手の車が大人気なようです。ここは精進湖の湖畔にある廃業したホテルの前です。車もホテルの廃業と同時に廃車になったのかもしれません。私がスバルに乗っていたころは、あまり売れない車でしたが、今や北米で大人気となり、日本でも人気が出て右肩上がりに増産を続けています。水平対向エンジンと4WDという個性が認められたのでしょう。でもこの車ほど個性が強すぎると日本では売れないでしょう。ホテルも個性的だったのかもしれませんね。廃車になった今でも、すぐに走れそうなほどきれいな状態でした。

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2005年ごろの私の同僚に、ミニに乗っている、私より上背がある(175㎝?)ご婦人がいました。あるとき「今のミニは許せない」と怒っていました。今のミニはミニではないというのです。BWCミニは1959年イギリスで誕生しました。この時代、スモールカーと呼ばれる車が,フランスやイタリヤにもあり、流行でもありました。その中でも初代のミニは、名は体を表し日本の軽自動車より小型でした。オースチン・ミニとモーリス・ミニがあり、850ccのFF式横置きエンジン前輪駆動,ミッションがオイルパンの中にあるという、驚きの構造でした。当時の軽自動車がRRであり、普通車にはFR式しかありませんでした。しかもタイヤが10インチ(スバル360は10インチ,軽の多くは12インチ)で、床下がシャコタン並みの14センチ、その時私は20センチのグランドワゴンに乗っていたので、ミニに乗せてもらうと、地面を這うようで、まるでゴーカートでした。イギリスの自動車産業が衰退し、2000年代に入りドイツで生産されるようになり、今の大きさのBMWミニになりました。デザインは初代のイメージを残していますが、サイズはプリウスと同じぐらいもあり、とてもミニの名称で呼べない車になりました。でも私は、リアドアが2枚の観音開きになっているワゴンのデザインは大好きです。廃車となったこのミニは、今も大切にこの家のシンボルとして働いているのがわかります。ミニはやはり小型であるからミニであり、愛され続けるのかもしれません。


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環8道路を走っていると、ギリシャ神殿を思わせる豪華な建物があります。できたときはユーノスの販売店として話題になりました。今は何が入っているのでしょう。バブル経済の始まりだした80年代後半に,3代目コスモのセダンを1日だけ乗ったことがあります。東名高速道路をツーローターの13Bエンジンは、滑らかに何処までも加速していきました(何キロまで出したかは秘密です)。この車は90年代の4代目、ユーノスコスモです。バブルの真っ盛りに出たこの車には、ロータリーエンジンを3個つなげたスリーローターの20Bエンジンを積み300馬力以上を出したということです。燃費もものすごく、リッター1~2キロしか走らないといわれました。そのためロータリーエンジンは、ガソリンをがぶ飲みするという悪評が立ち、人気を失います。技術を誇ったマツダも、バブルの崩壊とともに傾いていき、フオードの傘下に収まる結果になり、ユーノスの販売チャンネルもなくなりました。この車は、20Bではなく13Bです。その違いは、マフラーが二本で、20Bは四本あります。韮崎市の広々とした田んぼが、この建物の後ろに広がっているこの場所に、なぜこの車があるのでしょう。もしかしたらこの建物は、マツダの販売店だったのかもしれません。居住性よりスタイルを重視したツウドアクーペという形式は,今は絶対に売れないでしょう。それをここで売ろうとして売れ残ったのかもしれません。建物の横にはルーチェが1台ありました。

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昨年もドイツ車の売れ行きは好調で、ベンツは5年連続で1位であると今朝の新聞に書かれていました。ラジエターグリルにデカデカとマークをあしらったデザインは、成金趣味で下品だと思うのは私一人のひがみです。血と汗を流しやっと手に入れた憧れのベンツ。そのマークが購入者の気持ちを満足させるのでしょう。だから以前は、国産車に物足りない車好きは、その生々しさを嫌ってBMWを愛車にしたものです。60年代ごろのベンツは「貴婦人」と呼ばれ上品な車でした。その流れをくむこの車は、EクラスのW124あたりで、90年前後のバブル期に大量に輸入されました。撮影に訪れた山奥,砂利採石場の近くにこの車がありました。工場があった跡地のような場所です。きっとその工場の社用車だったのでしょう。工場の社長がこの車に乗って、夜な夜な繁華街に繰り出し、札びらを切っていた姿が想像できます。バブル崩壊で工場が倒産し、車だけが残されました。今ベンツを購入した方の将来を暗示していなければいいのですが。ヤナセは車を作りません。乗る人の人生をつくります。


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日産自動車追浜工場には、日曜日に清掃をするアルバイトがありました。私は学生時代の2年間、ほとんどの日曜日に出かけ、1日働いて1000円をもらって帰りました。ブルーバードを作るメインのラインの奥に、短いラインがあり、そこでプレジデントが作られていました。プレジデントは60年の発売で、5メートル×1,8メートルという大型で、V型4ℓというエンジンは、まさに当時のアメ車でした。価格も、高級車セドリックが100万円で買えた時、300万円もしました。当時の総理大臣佐藤栄作をはじめ、社用や芸能人など、今のベンツを買う層に多く買われました。トヨタにも同様の大型乗用車センチュリーがあります。遅れて67年から発売され、現在3代目の発売が計画されています。これは70年に発売された2代目です。1代目より、より個性が強くより大きくなりました。90年に発売されたインフィニティQ45という変わったスタイルの車が出るまで作られました。2代目は栃木工場で作られましたが、いったい何台売れたのでしょう。ほとんど見る機会がありませんでした。そんな高級車が空き地の草藪の中に、朽ちるのを待つように放置されていました。栄枯盛衰を体現しているかのように。

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60年代行後半ごろだと思います、実家の近所の畳屋さんがサンバートラックを買いました。軽トラックで畳を載せられるのが唯一サンバーだということです。スバルサンバーは61年から販売され、2012年6代目で自社生産が終わりました。のちに水冷となりますが、空冷リアエンジンは最後まで維持されました。そのためフルオーバーキャブとなり、荷台がそれだけ広かったのです。さらに前輪がシートの下にあるため、足の置き場が広く、ペタル操作が楽です。しかも4輪独立懸架(私のスズキエブリーは後輪が固定式リジットアクスルです)で、乗用車並みの乗りごこちです。さらに4WD車も早くから販売されていました。このサンバーは82年から販売された4代目です。ここからフルタイム4WDが採用され、それを強調したデザインの車です。撮影にしばしば行く櫛形山の麓にある平林の村落の廃屋の小屋に置かれていました。専用の車庫に収まっていることから、持ち主に大切にされてきたことがわかります。あの畳屋さんは息子が後を継ぎましたが、しばらくして廃業しました。店は今は空き家になっています。我が家の畳は、20年ほど前にリホームしたときに畳を替えて以来替えていません。


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80年代、ジョンブルという言葉が流行りました。それは、自虐的なイギリス人の意味より,野卑ではあるが究極のダンディズムであると思います。秋谷立石公園に泊まって撮影していた時でした。まだ暗い未明に、私の車の前に最新のジャガーXEが駐車しました。中から出てきた50代とおぼしき男が三脚をセットし、撮影を始めました。1時間ほどして日の出の前に片づけて行ってしまいました。その姿恰好がダンディーで、ジョンブルという言葉を思い出しました。ジャガーといえばEタイプのロードスター。61年に発表されたその車は、吉永小百合かEタイプかと思われるほど夢の様な憧れの存在でした。「いつでも夢を」は、そのころ橋幸夫とのデュエットで流行った歌でした。しかし、イギリス車の栄光も長くは続かず、いわゆるイギリス病になり、ジャガーはフォオードに買収され、誕生したのが2001年に発表されたこのXタイプです。アメリカでは不評のようでしたが、日本では車格の割には安いので、結構売れたようで、多く見かけました。伊豆の戸田峠から戸田海岸へ下る途中の、今は廃業した土産物屋の横にありました。失礼ながらこんな高級車がなぜここにと思います。今ジャガーは、インドのタタ・モータースの傘下に入り盛り返し始めているようです。私にとってジョンブルもジャガーも無縁な存在でした。せめて吉永小百合の最新作の映画を見に行くとしましょうか。


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テレビで、衛星写真から探した山奥の1軒屋を訪ねる番組があります。訪ねると、そこには予想に反した意外なエピソードがあり、面白く毎回見ています。山から撮影するために林道を走ることが多くありますが、こんな山奥に人が住んでいたのかと思わせる家に出会うことがあります。そのほとんどは今は空き家になっています。この場所は、白谷丸に登るための湯ノ沢林道の途中です。今は崩れかけた廃屋になっていますが、下の集落からかなり離れたところに1軒だけあります。ここでどんな暮らしをしていたのでしょう。家の前にある潰れた車は三菱ミニカです。50年代後半、スモールカー全盛の頃の61年に発売されたのがミニカでした。三菱は技術力が高いのか、先進技術をいち早く取り入れることが得意なようです。新発売されたミニカには、今のトヨタプリウスやホンダ車にも採用されている、リアコンビネイションランプの上のスクープドウインドウを最初に取り入れたモデルがありました。この車は84年発売の5代目ミニカです。何かの事情で潰れてしまったから廃車になったのか、廃車になってから潰れたのか、家屋とともに無残な姿をさらしています。先日、三菱の最先端技術を結集したはずのアウトランダーがリコールるされたと報道されていました。三菱の車は、私の知っているユーザーからの評判も悪く、技術に人が伴っていないのかもしれません。日産の傘下に入りましたが、潰れなければいいなと思っています。過ってパジェロがパリダカを無敵に走ったように、これからも三菱車が颯爽と走ってくれることを願っています。

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この車は、誰でも知っているフォルクスワーゲン、通称ビートルです。ワーゲンは、昨年トヨタを抜き世界1位の自動車生産をしました。敗戦国日本は朝鮮戦争特需で復興しましたが、敗戦国ドイツはフォルクスワーゲンの生産で復興をしました。タイプ1ビートルは2003年メキシコ工場での生産終了までに2152万台以上を作りました。これは生産台数1位で、その中の1台がこの水色のワーゲンです。60年代、日本でマイカーブームが始まった頃、アメリカではセカンドカーとしてワーゲンが流行りました。日本では頑丈であるという利点よりも、価格の割には狭い、クッションが固い,うるさい、空冷で暖房がきかない、トランクが小さいので荷物が積めないなど,国産車に比べて実用性に劣るためそれほど売れなかったのではないでしょうか。ただ、趣味人がクラシックカーに乗るごとく、ワーゲンという外車に乗っていることを誇りにして乗っていた観がありました。販売元のヤナセも、大衆車として大量に売るのではなく、高級車として扱っていたように思います。そのため、後に販売がヤナセから独立しました。ここは、撮影地山伏へ行くために通る安部川堤防の外にある畑の脇の草むらです。おそらく10年以上前に放置されたのでしょう。放置されたことで頑丈さが証明されたように、朽ちずに堪えています。車は、実用だけで乗るものでもないようです。乗っていることを楽しめる最後の車だったのかもしれません。この車が朽ちて果てる頃、ワーゲンに乗ていた粋な者たちもいなくなっているのでしょう。

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帰宅してからこの写真を見て、ごみの中から宝物を発見したように驚きました。ホンダレジェンドと思って撮っていた車は、エンプレムがアキュラ(Aの文字)で、当然左ハンドルだったのです。こんな山奥のさびしいところに、こんな車に乗っていた方がいたことに感慨深い想いがしました。80年代、バブルに浮かれた好景気が始まると、高級品が何でも売れました。日産のシーマが飛ぶように売れ、これを「シーマ現象」と呼ばれました。ホンダが出した高級車がレジェンドでした。それを栃木工場で作り、アメリカで「アキュラ」のネームで売りました。それがこの車です。当時語られた開発秘話、高級車を作ったことのないホンダは、高級とは何かを探るために、欧米の高級ホテルを泊まり歩き、高級を学んだそうです。そうして開発された車で、内装にやたら木目張りを使い、シートは純毛のモケット織や革張りが使われました。当時の私は、こんな高級車は買えないので、ホンダのコンチェルトというはるかに安い車でも最高グレードを買いました。内装に木目調が使われ、革張りで、電動サンルーフのプチ贅沢を味わいました。この車は96年発売アキュラRLの96年発売後期型です。この場所は、櫛形山へ行くため、三郷へ抜けるわき道です。川に沿って転々と集落があり、少しばかりの田んぼがあります。谷になっているので、昼でも暗く、空き家ばかりが目立ち、どの家もとても裕福であるとは思えません。だからこそなのかもしれません。こういう高級車に乗って、左ハンドルの外車だぜ! 贅沢な気分を味わっていたのかもしれません。その時の夢が忘れられなくて、処分できずにいつまでもここにあるのでしょう。時にはここへ来て涙を流すこともあるかもしれません。そんなモニメントだなんて考えすぎですね。

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先日、ジャンギャバンとアランドロンの映画『地下室のメロディー』を見ました。ジャンギャバンは最高級のロールスロイスに乗っていましたが、アランドロンがこの車でフランスの街の中を走り回ったら、とても似合っていたかもしれません。車の顔がジャンギャバンの顔に似ているように思います。この車は日産パオです。日産マーチをベースにして作られたパイクカー4シリーズの2番目で、89~90年にかけて、注文した人にすべてに販売したので、51657台になったそうです。シリーズでは一番売れました。丸目玉もそうですが、開閉式の三角窓やパイプバンパーなど,61年発売のルノー・4カトレールを意識したレトロなデザインになっています。ところがボディー外板は、新素材の強化樹脂が多く使われ軽量化が図られるなど、最新技術が取り入れられていました。それでもボディーは重く、50馬力のマーチのエンジンでは非力で、いくらアクセルを踏んでもスピードが出ないと言われました。でも車のコンセプトが50~60年代なら、スピードを出して走り抜ける必要もなく、のんびり走ることのほうが似合う車です。ここは高ボッチ高原へ行くのに通る諏訪湖湖畔です。オーナーは注文して、しばらく待たされ届いたパオがとても気に入り、まさに愛車として大切にしたに違いありません。塩尻峠をやっとこさ上りきり、高ボッチ高原からの諏訪湖の絶景を眺めたかもしれません。それから30年近く、今でも車はいつでも走れるように前を向き停まったままでいます。もう走れないのに、巌として前を見ている顔が、ますますジャンギャバンに似てくるように思います。


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自動車修理工場の車庫の中、この車はこの位置に置かれたまま50年近く経ちます。汚れてはいますが、レストアに耐えられるほどきれいな状態です。この車は日産オースチンとして発売されたのが55年です。自動車工業黎明のこの時期、外国車のノックダウン方式による導入がされました。53年いすゞ自動車がヒルマンミンクスをイギリスルーツ自動車から、日野自動車はルノー4CVをフランスルノー公団から、そして日産がオースチンA50ケンブリッジをイギリスBMCから導入しました。その卒業制作として、いすゞ自動車は63年ベレルを、日野自動車は61年コンテッサを、日産自動車は60年セドリックを発売しました。外国から自動車の作り方を教わってから60年、日本は世界一の自動車生産国になっています。当時発売されていたトヨタクラウンはタクシー用に、オースチンは個人オナー用に受け入れられました。当時国産車愛用という政治方針で、政治家の大型外車から国産車に乗り替えが行われ、首相の岸伸介がオースチンに乗っている写真があります。58年に国産化された時の値段は85万円でした。それはとても高価で庶民に買える値段ではありません。だからこそ今でも捨てられずに、当時の栄光のモニメントとして保存されているのでしょう。トヨタの自動車博物館には日産オースチンが展示されています。日産のショールームにはダットサンやフィアレデーはありますが、オースチンは見ていません。コストカッターのゴーン社長は、自分の給料を上げる努力をしても、過っての栄光を展示するような無駄はしないでしょう。



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# by minorufuji2089 | 2018-01-01 15:59 | 廃車の風景 | Comments(0)
最新富士山の撮影記録
元旦より15日まで、横浜市営地下鉄関内駅上大岡方面ホーム壁面で、私の10枚の写真展を行います。通りましたらご覧ください。


こんな笑い話があります。稽古が厳しい貴乃花部屋の親方貴乃花の口癖が「朝もけいこ、昼もけいこ、夜もけいこ」。泰山鳴動してネズミが一匹も出てこなかったのが貴ノ岩暴力事件でした。2か月もの間マスコミを賑わせ、様々な憶測が飛び交ったのに、期待していた貴乃花の口からは何も出ませんでした。明らかになったのは親方貴乃花のだらしない姿(マフラー、ネクタイ、座り方)だけでした。良妻賢母の景子夫人が注意しないのでしょうか。これでは弟子の貴ノ岩の躾も悪いのが想像でき、モンゴル勢に焼きを入れられても仕方がないでしょう。24日が雪で、25日に高ボッチへ行こうとしましたが道路が閉鎖になり、途中から上高下へ向かいました。何処へ行ってもテレビは貴ノ岩暴力事件を伝えているので、撮影よりもそのことが気になってしまいました。そのためか、5日間の撮影で、珍しく5日間とも富士山は撮れたというのに、満足できるものは一枚もありませんでした。まさに大山鳴動してネズミ0でした。来年こそ「朝も富士山、昼も富士山、夜も富士山」で、貴乃花親方にも負けないほど厳しく頑張りたいと思いました。


12月26日 釜無川 20号線沿線の釜無川で、いつも気になっていた場所から撮ってみました。
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上高下
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27日上高下 日の出前に雪煙が舞いました。
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精進湖
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28日精進湖 日の出
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29日精進湖
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山中湖 夕日が沈み雪煙が舞いました。
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30日
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# by minorufuji2089 | 2017-12-30 22:40 | 最新富士山撮影 | Comments(2)


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