やすらぎの富士

富士山写真撮影の記録
カテゴリ:続・廃車のある風景( 1 )
続・廃車のある風景


続・廃車のある風景

最後が最新掲載です


112.pngボルボPV544

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子供のころ、横浜と横須賀に挟まれた所に住んでいたので、私の家の周りには米軍基地が多くあり、近くには軍人や軍属の人(オンリー)が住んでいました。特に横浜本牧には、金網のフェンスの向こうに広々としたアメリカの様な住宅が広がっていました。今ほど警戒が厳しくなっかったことと、子供だったからでしょう、中に潜り込んでも咎められることは少なく、カメラを隠し持ち何度か車の写真を撮りに行きました。どこにでもあるアメリカ車よりヨーロッパのスポーツカー、特にジャガーがお気に入りでした。そんな中で目にしたのがボルボPV444で、その「オサムシ」のような特異な姿を今でも覚えています。ボルボの生産国スエーデンは、中立国であったため第二次世界大戦の戦禍を免れました。そのため戦後すぐの46年からPV444の生産を始めます。前後フェンダーが独立したプレーンバックスタイルの流線型で、まるで戦前のアメリカ車のようなクラシカルなスタイルが反って好まれたのかもしれません。モノコックボデイで1t未満の軽量から、性能も良かったようで、その後何台も国道を走っているのに出会いました。真偽のほどはわかりませんが当時の話しとして、米軍人が日本に来るとき車を1台持って来ることができ、帰国する時それを売るのだそうです。そうして日本に多くのアメリカ車が入り、それを当時の金持ちや芸能人などが買いました。写真の車はPV544で、58年に発売され65年の生産終了まで24万台余り造られました。「PV」は乗用車の意味で、5は5人乗り、4は4気筒、4は40馬力の意味で、PV444の4人乗りから5人乗りになり、フロントガラスが曲面の1枚ガラスになりました。この1台も米軍関係から放出された車かもしれません。今は国道414号線北山の沿道に置かれていますが、どんな運命をたどってここまで来たのでしょう。私は経験がありませんが、私の兄は米軍人の車が来ると、みんなで群がってお菓子を要求したそうです。そんな車の1台であったのかもしれません。


118.pngビュイック・リミテッド ?
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今年の夏は異常高温の日が続き、ついに暫定最高気温(この後もっと高温が出るかもしれません)が記録された日、石和の街を桃を買うために走っていると、車の外気温度計は40度を掲示していました。桃畑を通り抜けて市街地を走っていると、この車を見つけました。大型中古オートバイを販売する店の駐車場に置いてあり、いかにも古いデザインの車です。大型ワンボックスカーほどのボリュームがある車体、ライトとフロントウインドーに庇があり、異様に高い鼻ずらのボンネット、バンパーには3本の"カツオブシ"、見覚えのない不思議なデザインの車です。前のボルボより古い車で、間違いなく戦前の車です。帰宅して調べると、古いだけに資料が少なく、同一の車種を見つけることはできませんでしたが、それらしい車を見つけました。ビュイック・センチュリーで、1936~42年の間製造さた車でした。165馬力を発揮する直列8気筒5,2L エンジンで95マイルの巡航速度を誇りました。鼻高の大きなエンジンルームの中には、巨大なエンジンが入っていたのです。しかし、この車には庇がありません。リミテッドという最高級車があるのでこちらかもしれませんが、写真がないので確かめることができません。ビュイックは1903年から生産を開始し、その後GMモータースに譲渡され、GMとして最初に造られた車となります。その後、最高級車キャデラックに次ぐ中級車として扱われて、センチュリーは6代目2005年まで造られました。この車は、もしかして戦後の進駐軍によって持ち込まれ、高級将校を乗せて荒廃した日本の8月の暑い夏を走ったのかもしれません。マッカーサーを乗せたとしても十分貫禄のある車です。今は廃車となり朽ちるがままにさらされていますが、甲府盆地の暑い夏に耐えて踏ん張っている姿は、日本を負かしたヤンキー魂を見る思いがしました。


111.pngフォード・F100 ?
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アメリカ人はピックアップトラックが好きなようです。それは開拓時代の幌馬車を連想させるからだとか、税金対策だとか言われていますが、アメリカ映画を見ると、特に若者はたいていピックアップトラックに乗っています。アメリカでは、開放荷台を有する車をすべてピックアップトラックと総称しているようですが、日本では荷台のある乗用車タイプをピックアップ(「廃車の」の初めにアメリカ製のスバル・ピックアップがあります)というのだと思います。私の知り合いでピックアップの荷台に居住ユニットを載せたカンピングカーで、岐阜から富士山の写真を撮りに来る方がいます。以前はダットサンにピックアップがありましたが、現在はトヨタ・ランドクルーザーと日産・サファリだけで、日本ではほとんど人気のない車種です。ところが、フォード・Fシリーズは、年間販売台数世界一で、2007年には76万台も販売されたというので驚きです。写真のF100は2代目で、53~56年まで生産されたこの型は根強いファンが多く、少し前を描いたアメリカ映画の農村では、必ずといって良いほどこの車が走っています。御殿場を走っているとき、この車を見つけましたが、何か違うのです。Fシリーズは、100から始まって900まで、数字が大きくなるにしたがって荷台が大きくなります。一番小さい100ですが、それでも小さいのです。写真を撮っていると、建物の中から人が出てきたので聞くと、F100に似せたボディをFRPで造り、ダットサントラックに乗せたのだそうです。全体が2分の1にスケールダウンしてあるので小さかったのです。スポーツカー的かっこいい車の偽物を作る人の話は聞きますが、ピックアップトラックを似せて造るという粋な方がいることを知り、本物に巡り合うよりうれしく思いました。テールランプとナンバープレート、これは本物 ?


114.pngビュイック・ルセーバー
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クラウンには以前ワゴン車がありました。しかし全然売れなかったそうです。ましてピックアップトラックがあったとしても、まったく売れなかったことでしょう。アメリカ人はこんなでかいピックアップをどのように使うのでしょう。この車には車名を明らかにするオーナメントが何もついていませんでした。細部に違いがありますが、80年代のトヨタ・クラウンのような高級車ビユイック・ルセーバーであろうと思います。確定出来ないのは、参考にした解説が英語で書かれているからです。葛城山の近くで見つけました。これを所有した日本人も、どんな目的でこの車を所有したのでしょうか。


125.pngビュイック・ランドマスター
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ビュイックつながりで、現在のビュイックです。といっても91年~99年まで発売されたビュイック・ランドマスターという車です。これも見つけた解説が英語版なので、車の詳細は分かりません。外観は放置されているにしてはきれいで、とても廃車には見えませんが、車内はゴミの山でとても走れる状態ではなく、間違いなく廃車です。逗子市の裏道路で見つけました。住宅地の月極駐車場の一角に放置されたでかいアメ車は、どのような事情で放置されているのかとても疑問です。逗子市池子に米軍用住宅があり、夕方横須賀米軍基地から帰宅する車が大渋滞を興します。それを見ながら反対から走ると、Yナンバーの車はすべて国産車で、アメ車は一台もありません。日本に住むには国産車がいいと思うアメリカ人の合理的な考えなのでしょう。それに反するように、アメ車に乗って楽しむ日本人がいます。143号線湘南海岸通りを走る70~80年代のアメ車に乗っている方をしばしば見ます。この車の持ち主もそんな一人なのかもしれません。


110.pngトライアンフ・ヘラルド
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湾岸戦争の後、イランから原油を供給してもらうために、1974年イラクとビザ相互免除協定が結ばれました。御坂峠に向かう途中で道を間違え,農道へ迷い込んでしまった時でした。広い空き地に数台のポンコツ車が置かれている隅に、この車がありました。反対の隅に4,5人の相当怪しい東南アジア系の色黒な男達が立ち話をしています。行きにくい雰囲気でしたが車の魅力にはかなわず、写真を撮っていると、案の定、男の一人が近寄ってきて「車イルカ」と話しかけてきました。まずいと思って逃げるように立ち去りました。後で考えるとイラン人ではないかと思います。イラン人は観光で日本に来て、あるいは不法滞在で、中古車のバイヤーとして集めた車をイランに送っていることがわかったからです。ここはそんな集積地であったのかもしれません。写真の車はトライアンフ・ヘラルドサルーンで、59年~71年まで生産されました。ミケロッティがデザインした美しい車です。60年にセドリックが発売されて、まだサニーもカローラも発売されていない時代で、夢のような存在の外車でした。乗っていたのは一部の金持ち、そして全盛期の日活映画スター達でした。前に取り上げたトライアンフのオープンスポーツカーは和田浩二などの男優でしたが、ヘラルドは女優が似合う車でした。笹森玲子や清水まゆみが似合う女優として思い出されます。助手席の窓から手を振りながら去って行ったあの時代のスターたちは、今どうしているのでしょう。車は、廃車となって放置されていますが、塗装の剥げもなく、きれいな状態です。ただし後ろはつぶれているので、このまま走れる状態ではありません。ここを終の棲家として朽ち果てしまうのでしょうか。それともこんな状態でイラクへ運ばれていくのでしょうか。


146.pngフオード・RS200
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時として廃車はシートを被されていることがあります。自宅から30分ほどのマンション1階駐車場にそれらしい車があるのを通るたびに気になっていました。強風の吹いた翌日、もしもと思い行くと、やはりシートは飛ばされていて、現れていた車はまったく見覚えがない車でした。フオードのエンブレムから車名を探すとフォード・RS200ということがわかりました。RS・200は世界ラリー選手権(WRC)に参戦するためにグループB規定に則って造られた4WDミッドシップのレース専用車でした。デザインはカロチェリア・ギアが担当したというだけあって洗練された、ラリー車としては珍しい空力ボデイです。エンジンはレース専用エンジンメーカー・スワロース製ターボ付き1800cc直4DOHCで市販車には250PS、300PS、350PSの3タイプがありました。85年から参戦しましたが、ポルトガル戦で客席に突っ込み死傷者を出す不幸がありました。87年には19勝を記録して、2008年まで出場したようです。日本には十数台市販車が輸入されたとのこと、この車はとても貴重な車であることがわかりました。四国自動車博物館に展示されているとのことです。その後ここを通ると、車はありませんでした。どこかに引き取られて次の人生(車生)を送ることになったのでしょうか。


124.pngVW・ニュービートル
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今年の異常気象の暑い夏、タレントの所ジョージが飲料水のコマーシャルに出ています。それは以前自分が畑仕事で熱中症になったからです。転んでもただは起きない、これが所流なのでしょう。しばらく前、毎週金曜日の夜11時から所ジョージの「世田谷ベース」を見ていました。倒れたのはそのころで、同じころの2011年ニュービートルからザ・ビートルに改名されて、発表、12年に新しいビートルが発売され、所ジョージがCMに出ていました。同時に、所プロデュースのザ・ビートルが製作されました。ボンネットがレンガ色(錆色かもしれません、所は錆色にこだわりがありましたから)に塗られていて、単調なスタイルにアクセントとなり、さすがにセンスのいい車だと思いました。所は自分用にトランクの蓋も同色に塗ったものを所有していました。特注でこれも販売したのは、所流なのでしょう。写真のニュービートルが発表されたのは94年で、日本で発売されたのは99年でした。T1ビートルが生産を終了し、ゴルフが発売されたのが74年でした。1代目ゴルフは爆発的にヒットし、世界中で売れました。しかしあまりにも合理的過ぎて、面白みが何もないことに不満を持つ人が多くいたのでしょう。94年にゴルフは2代目にモデルチェンジされますが、T1ビートルの人気は益々高まって、中古車市場を熱くしました。そんな欲求が爆発するようにして生まれたのがニュービートルでした。デザイン的には好評でしたが、性能的には、RR車のデザインに無理やりFF方式を押し込んだため悪評の様でした。それでもビートルを懐かしむファンから高評価で迎い入れられたようで、見ることが多くありました。それから20年近くになれば、かっての愛車も当然廃車となって放置される車も出てくることになります。写真のこの車も外見はきれいですが、中はかなり傷んでいて、走ることはできません。194号線北山の出口近くで見つけました。「世田谷ベース」は曜日が変わって、今はどうなったのか見ていません。野菜だけれなく、錆色に塗ったオートバイを造ったりして、所流があふれた面白い番組でした。


153.pngVW・ビートル
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不思議なこともあるもので、ニュービートルのコメントを書いてから撮影に出た帰り、この写真のT1ビートルに出会いました。しかもこれは廃車ではありません。ナンバープレートが付いていて、現役として動く車なのです。しかも左ハンドルです。長い間製造された車なので、この写真の車がいつ造られたのかを特定するのは難しいです。73年にフロントウインドーがカーブガラスになります。この車は平なのでそれ以前の車になります。61年にカルマン製のコンバーチブルが発売されますが、それとヘッドライトと方向指示器の形状が同じです。ということは60年代の車だという可能性があります。走るところを見たい思いがしました。ビートルは78年にドイツ本国で生産を終了し、2003年にはメキシコでも終了し、完全に生産が終わります。年に1,2度公道を元気に走るビートルに出会います。今だにビートルを愛し続ける人が各地にいるのですね。


115.pngルノー・カングー
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ルノーといえば、私のような年寄りにはルノー4CVを思い出します。53年から日野自動車が生産した日野ルノーです。当時タクシーとして多く使われていました。初乗りが60円と安いのですが、後ろのシートに3人乗ると、子どもの私でも狭くてギューギュー詰めになりました。何しろ今の軽自動車ほどしかスペースがなかったからです。次が、99年日産が経営不振に陥り、ルノーの傘下に入ったときです。それまでの輸入代理店がヤナセで細々と輸入販売していましたが、2000年にルノー・ジャポンとして独立します。後期型が2002年に発表され、2003年に日本でも発売されたのが、写真の車ルノー・カングーです。カングーは97年に前期型小型フルゴネット・荷室拡大型貨物車として発売されました。ワゴン車よりも荷室が大きく、貨物車としてよりもレジャー用のSUV車として、日本でも販売を伸ばしたようで、とても見る機会が多くなりました。リヤードアが非対象2枚の、日本車にはないタイプが受けたのでしょう。シトロエンを始めフランス車は日本車にはない個性的なデザインです。これからはもっと受け入れられて販売を伸ばすでしょう。写真の車はまだまだ乗れそうなのですが、1年ほど前からこの空き地に放置されています。2007年にフルモデルチェンジされ、カングー2が発売されています。


130.pngルノー・メガーヌ
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最近見かけることが多いトヨタ・C-HRは、ボディに起伏が多く派手なスタイルの車で、私などはとても乗る気が起きません。日本車にもこんなに個性的な車が発売され、しかも多く売れているというのです。日本車の多くは個性をあまり出さずに、万人に好まれるようにデザインする傾向が強いように思います。その点フランス車は個性の塊のような車が多いです。前のカングーもそうでしたが、同じルノー続きで写真の車ルノー・メガーヌのリアデザインは、とても個性的です。C-HRの個性は、やたら凹凸をつけて飾り立てたデザインですが、メガーヌやフランス車の個性は車全体が個性的です。メガーヌのデザインのキーワードは「退屈へのレジスタンス」であるといいます。こういう個性の車なら乗りたい気持ちが起きます。2002年に発表され、2003年から日本でも発売さ、2009年にモデルチェンジになります。この車も、きれいな状態で、まだまだ乗れそうですが、この場所に1年以上放置されています。個性が強い車は、気に入って新車を買う人がいても、一度廃車になると中古から乗ろうと思う人がいないのかもしれません。このまま朽ちてしまいには惜しい車です。


151.pngスマートK
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私の住む団地には5千戸ほどの世帯が住んでいます。その中に1台だけ(たぶん)トヨタ・iQを所有する家があります。その家はもう一台大型SUVを所有しています。トヨタ・iQは2008年発売の大人3人と子ども1人を想定したシティーコンミュータカーで、2016年で生産が終了しました。スズキ・ツインは2003年に発売された2人乗りの軽自動車でシティーコンミュータカーとして発売されましたが、売れ行きが悪くて2005年約1万台の生産で終了します。おそらく車で出かけるときの90%以上は一人です。だからチョイ乗りとしてのシティーコンミュータカーを所有するのは理想的です。しかし現実的には受け入れられなっかったようです。日本のメーカーを動かしたのはスイスの時計メーカー、スウォッチでした。90年代初めマイクロカーを生産することを発案し、ダイムラー・ベンツと提携して開発した車が2人乗り全長2,5メートルのスマートでした。97年フランスに生産工場を建設、98年シティークーペとしてスマートを発売,2001年日本で軽自動車としてスマートKを発売しました。2002年にマイナーチェンジをしますが、写真の車はこちらの後期型のようです。2004年車名をフォーツーに変更,2007年2代目発売,2013年累計販売150万台を突破しました。2014年には3代目が発売されて、2016年日本での新規登録は4508台で現在も販売が続いています。日本では成功しなっかったコンミュータカーが、ヨーロッパでは成功したのはどんな違いからなのでしょうか。写真の車は田子の浦漁港の近くで見つけました。清水の街を10年以上走り回ったに違いありません。フランス車らしい個性的な面構えで、まだまだ走れるという姿勢で前を通過する人や車を眺めているようでした。


104.pngススキ・ジムニー
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雨上がりの先日、Nさんのジムニーが高座山でスタックして動けなくなったそうです。高座山は忍野村を見下ろす位置にあり、富士山の絶景撮影ポイントの1つです。ところが未舗装で、荒れた急な登山道を上るため4WD車でしか行けません。私もここへ上りたいがために4WD車に乗り続け、先日も行きました。下のポイントまではどうにか行けましたが、さらに上にもポイントがあり、道はもっと荒れています。そこでNさんは動けなくなって、仲間に救助を頼み脱出できたそうです。それまで高級乗用車に乗っていたNさんは、2年ほど前ジムニーに乗り換えました。自宅のある山梨県から静岡県まで、連日縦横無尽に駆け回って、富士山の写真を撮っています。ジムニーはどんなダートな道でも安心して走ることができるので、富士山撮影には最適な車です。もちろんカメラマンだけではなく多くの方が乗っています。しかし、私のように車中泊をする者には、車内が狭いので不向きです。今年の7月、ジムニー4代目が角型スタイルで20年ぶりのモデルチェンジされ発売されました。初代が発売されたのが70年で、軍用トラックのジープそのものを小さくしたスタイルで、軽自動車初の本格的4輪駆動オフロード車でした。当時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男の車」でした。今でもこの初代型のジムニーが幌を外して、もっとすごい急坂のダートをぐんぐん上り、泥だらけになって駆け回る姿を見ることがあります。81年フルモデルチェンジして2代目が発売されました。イメージを一新し、快適性や操縦性などの性能を向上させ、幌のトラック型からワゴン型の乗用車になりました。しかし角型のスタイルは生きていて、まだまだ野性的であったようです。写真の車は2代目の2期84~90年発売の車です。柚野の農家の庭先で、10年以上前から放置されています。98年にフルモデルチェンジされ3代目が発売されました。それまでの角型から丸みを帯びて乗用車的なスタイルになります。ホイルベースが2030mmから2250mm(長くなるとスタックを起こしやすくなります)となり乗り心地が向上し、選択が5速マニアルから4速オートマトランスミッション中心になります。それは、野性的な男の車から、都会的な女性にも受け入れられる優しい車になったのかも知れません。Nさんのスタックがそれを物語っているように思います。モデルチェンジした4代目は、角型スタイルに戻ったことで、どれだけ野生を取り戻しているのでしょうか。



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途中です


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by minorufuji2089 | 2018-01-01 11:08 | 続・廃車のある風景 | Comments(0)


by minorufuji2089
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